逆転合格の兆し

これは、平凡な学生だった僕が、
E判定から京大に合格するまでの経緯を
ストーリー調に振り返ったものです。

 

第9話「逆転合格の兆し」

 

夏休みが終わった。

二学期が始まってから数日後、
模試の結果が返ってきた。

 

案の定、E判定だった。

どうやら、合格可能性は20%以下らしい。

 

「全般的に学力不足です。」

「基礎事項の徹底を図り奮起しましょう。」

「志望校についても慎重に検討しましょう。」

 

そんな言葉を無視できるほど、
僕は気が強いタイプではなかった。

 

 

正直、「諦めてもいいかな…」
というところまで気持ちが揺らいでいた。

自分だって、それなりに頑張って勉強したのだ。

それでも、模試では歯が立たなかった。

 

しかも、競争相手になるのは、
オープンキャンパスで出会ったような
頭のいい連中なのだ。

頑張ったところで、
自分が彼らに勝てる気がしなかった。

 

 

でも、諦めるとしたら、
どの大学を目指せばいいんだろうか?

それまで京大しか見てこなかったのだ。

そんな僕が、いまさらになって、
何も知らない大学を受験するのは気が引けた。

 

なによりも、友人や先生、両親に、
「京大を諦める」なんて言えそうになかった。

調子のいいことを言ってただけに、
プライドが邪魔して降参できなかった。

 

 

 

そんなあるとき、ふと、
例の”合格体験記”を読み返すことにした。

 

京大を目指すようになって以来、
それは一種のお守りみたいなものになっていた。

ことあるごとに読み返しては、
自分が合格するさまを想像する…

すると、なんとなくやる気が出るのだ。

 

 

で、久々に読み返してみると、
気になる一言を見つけた。

 

「勉強しても伸びない人は、
やり方が間違ってるということです。」

「本を買ってみるなり人に聞くなりして、
勉強方法について調べてみましょう」

 

確か、こんな感じの文章だったと思う。

 

今までは、その部分を読んでもスルーしていた。

でも、挫折しかけているからこそ、
「勉強しても伸びない人」
という言葉が気になったんだと思う。

 

自分のことを言われてるような気分がしたのだ。

そういうわけで、諦めてしまう前に、
改めて勉強法について調べてみることにした。

 

 

 

手始めに、近くの本屋に行ってみた。

 

参考書が置いてある列の端の方に、

「○○式勉強法」とか
「合格するための~」といった、

タイトルの本がいっぱい置いてあった。

 

いままで、参考書を見ることはあっても、
こういう本を手にとることはなかった。

 

 

とりあえず、片っ端から買ってみた。

 

多分、2~3万円くらいしたかもしれない。

親には”参考書代”ということで説得して、
お金を出してもらった。

 

本音を言えば、
「無駄になったら嫌だな…」と、
ためらう気持ちは十分にあった。

でも、よくよく考えてみると、
国立大学でも300万前後は学費がかかるのだ。

それを考えると、
たとえ合格率が1%しか上がらなくても、

(300万円の1%が3万円なので、)
”割のいい投資だった”ということになる。

 

だから、後ろ髪を引かれる思いで、
なんとか書籍の会計を済ませた。

 

 

 

そして、家に帰ってから、
山積みになった本を片っ端から読んでみた。

 

もともと、本を読むのは好きだった。

だから、たくさんの文字に目を通すのは、
それほど苦痛だと思わなかったのだ。

 

 

そうやって受験勉強について、
頭の中に大量に情報を詰め込んでいると、

あるとき不思議な感覚に襲われた。

 

どの本も、全く同じ内容が
書かれてるように見えてくるのだ。

 

違う著者が書いた違う本なのだから、
本当はそんなこと有り得ない。

でも、不思議なことに、
どの本も違う角度から”全く同じこと”を
話しているように思えてしまうのだ。

 

 

 

そんな大量のリサーチを経て、
自分の中でわかったことが大きく2つあった。

 

一つは、「自分がE判定しか取れない理由」だ。

 

それまでの僕は、簡単に言えば、
”京大に合格するための”勉強をしていなかった。

つまり、”出口戦略”とか、
”ゴールから逆算する発想”というものが
圧倒的に足りていなかったのだ。

それに、まだ基礎固めの途中ということもあり、
夏の時点で結果が出ないのも当然だった。

 

 

もう一つわかったことは、
「ライバルのことは気にする必要がない」ということだ。

 

「受験競争」なんて言葉があるように、
大学受験は他人との競争だと考えられている。

でも、実を言うとその考え方は、
半分正しくて半分間違っているのだ。

 

半分”正しい”理由は、誰もが知っているとおり、
テストの点数順で入学者が選ばれるからだ。

 

そして、肝心の
半分”間違っている”理由だけど、

それは、合格最低点が
ほぼ毎年変わらないから、ということになる。

 

例えば、1対1で対戦するスポーツなら、
試合に勝つためには、
相手を上回ることが何よりも大切になってくる。

 

でも、受験勉強は違う。

 

対戦相手が数百人という規模だから、
ライバルに負けていたって、
自分が合格最低点を超えていればいいのだ。

 

合格最低点は、毎年ほとんど変わらない。

 

それに、仮に、
試験の内容が大幅に変わっても、
受験者全体のレベルに変わりはない。

だから、あくまでも、
自分が点数を取れるかの戦いなのだ。

 

 

それまでの自分は、
オープンキャンパスで出会ったような
頭のいい連中を超えなければ、と思っていた。

 

でも、彼らに負けていたって、
自分が合格することは可能なのだ。

 

 

 

それに気づいたら、挫折しかけた自分が、
なんだか急に馬鹿らしくなってきた。

 

「諦めるのは、まだ早い」

「自分は京大に合格できる」

そう思えた。

 

 

 

それからは、心を入れ替えて、
もう一度真剣に勉強することにした。

 

とは言え、

頭に鉢巻を巻いたり、
睡眠時間を削ったり、
一日10時間以上も勉強したり…

そんなことは決してしなかった。

 

ただ、毎日決まった量をこなす努力はした。

 

土日はダラケてしまがちだったから、
学校まで行って教室を開けてもらった。

 

通学の時間がかかることを考えれば、
地元にある図書館が一番なんだけれど、

休日は、老人&受験生たちが
朝から並んでまで席取りするので諦めた。

 

 

正直に言うと、休みの日ですら、
1日8時間も勉強できたことはなかった。

自分の根性の無さに、
嫌気が差すことは何度もあった。

途中で投げ出したくなることも、
それこそ何度もあった。

それでも、毎日1ミリでも前進できるように、
粘り強く勉強を進めて行った。

 

 

 

そうするうちに、2度目の模試がやってきた。

 

マーク模試の結果は、
なんと一気にEからBまで上昇した。

そして、二次形式の模試については、
E→D→Cと回を重ねるごとに良くなっていった。

 

「自分は間違ってなかったんだ!」

 

自分の頑張りが認められたみたいで、
すごく嬉しかった。

 

 

 

そして、ここまで来ると、
勉強に一切の迷いがなくなった。

 

まるで、ジグソーパズルの終盤のように、
学んだことのピースが、
頭の中で一気にはまっていった。

 

やればやるほど、解ける問題が増えていった。

 

後は勢いに乗って、
ひたすら勉強するだけだった。

 

 

 

 

そうして迎えた、センター試験。

 

僕は、9割弱もの点数を取ることができた。

 

 

国語に至っては、理系にもかかわらず、
200点中185点もの点数を収めた。

文系の同級生ですら、
僕の点数を超える人はほとんどいなかった。

 

ぼくは学校でも、すでに、
トップクラスの成績になっていた。

友人には、勉強を教えることが多くなり、
自然と一目置かれるようになった。

 

 

一時は不可能かと思われた「京大合格」が、急に現実味を帯びてきた。

 

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