E判定からの逆転合格ストーリー

これは、平凡な学生だった僕が、
E判定から京大に合格するまでの経緯を
ストーリー調に振り返ったものです。

はじめに「E判定からの逆転合格ストーリー」

中3のとき、僕は高校受験で失敗した。

前期で受けた第一志望に落ちてしまった。

生まれて初めての受験だったから、
当時の僕なりに一生懸命に勉強した。

だけど、結果を出すことができなかった。

落ちた原因には、いくつか心当たりがあった。

そもそも勉強法からして悪かった。

ただ目の前の問題を人より速くたくさん
解いてさえいれば合格できると思っていた。

内申点も足りてなかった。

担任からは、進路相談のときに、
そのことで諦めるように忠告されていた。

そこを受験すると決断するのも遅かった。

最初は担任の言葉通り諦めていたけれど、
出願の日が近くなって、
やっぱり受験することに決めた。

その結果、準備も中途半端なままに
試験当日を迎えてしまった。

でも、なにより一番ダメだったのは、
僕に自分の意見がないことだった。

塾に行ったほうがいいと言われれば、
そのまま塾に通ったし、

模試を受けたほうがいいと言われれば、
周りに合わせて自分も受けた。

内申点が足りないからと言われれば、
一度は受験することさえも諦めた。

とにかく、僕には自信がなかった。

違うと思っても、自分の意見が言えなかった。

いつも周りの基準から
はみ出さないように行動していた。

周りの目や評価ばかりを気にして
自分がしたいことをする勇気がなかった。

不合格になって初めて、
そんな自分が心の底から情けなくなった。

そのあと、後期で受けた学校に
なんとか合格することができた。

第一志望には落ちてしまったけれど、
そこは、とてもいい学校だったと思う。

僕が通っていた
それまでの中学校では、

不良が騒いだり、モノを投げたりして、
授業が進まないことなんて何度もあった。

イタズラで窓が割られ、
ガラスの破片が散乱してるから
教室で授業ができない、という日もあった。

なんのために学校に行くのか、
中学生の頃の僕にはサッパリわからなかった。

毎朝通学するのが苦痛だった。

僕が高校受験で頑張ったのは、
そんな環境から抜け出したかったからだ。

そして、新しい環境に行けば、
ダメな自分も何かが変わるかもしれない。

そんな期待をしていたからだった。

そして、実際、高校に進学すると、
何もかもと言っていいほど状況が変わった。

授業中は静かで、私語を話す人なんていないし、
窓ガラスが割れることも当然なかった。

周りの同級生も、真面目な人が多かった。

大学受験という将来を見据えて
放課後は塾に行って勉強したり、

試合で勝ちたいからと
遅くまで部活の練習に打ち込んだり、

そして、それが終わったら
仲間と一緒に帰ったりして…

その姿がまさに青春というかんじで、
みんな楽しそうに高校生活を送っていた。

とはいえ、そんな環境でも、
ぼく自身は何も変わらなかった。

「やりたいことなんて特にないから…」

そんな理由をつけては、
無駄にゲームをしたり本を読んだりして
毎日をダラダラと過ごしていた。

そうやって過ごすことが一番気楽だし、
それが自分のやりたいことだと決めつけていた。

ただ、ときどき違和感を覚えた。

一度きりの貴重な高校生活が、
そんなふうに何もせずに過ぎていくのを思うと、
たまらない気持ちになることがあった。

将来の夢や熱中できるものがある
同級生たちが羨ましかった。

自分も、彼らと同じように、
将来の夢や熱中できるものがほしかった。

そうしたら、自分だって、
有意義な高校生活を送れるのだと思っていた。

だけど、本当はそれも違った。

本当は、一歩踏み出す勇気が
自分にないだけだった。

遠くまで旅行したり、
人前で楽器を演奏したり、
あるいは、彼女をつくったり、

やってみたいことならたくさんあった。

でも、一歩踏み出す勇気がないから、

「失敗したら?」
「やっても楽しくなかったら?」
「そんなことして何のためになるの?」

なんて頭の中で理由をつけては、
何も行動しない自分を正当化していたのだ。

「将来の夢」とか
「熱中できるもの」なんて言葉を使って、

勇気がないだけの自分を
ただ誤魔化していただけだった。

そうして高3になって、進路を考え始めた。

ある日、学校の進学資料を見ることがあった。

すると、わずかながらも自分と同じ学校から
京大に合格した人がいることを知った。

そして、その人の合格体験記を読むと、
不思議と自分でも京大に合格できる気がした。

それまでは、自分の行きたい大学なんて
考えたことがなかった。

受験に向けた勉強もしたことがなかった。

せいぜい、学校でたまに出る課題をこなして、
テスト前に軽く勉強するくらいだった。

高校生になって、塾に行ったこともなければ、
オープンキャンパスの意味すら知らなかった。

そんな自分が一生懸命勉強したところで、
京大に合格するなんて、
ホントは不可能じゃないかとも感じた。

でも、挑戦してみたいという思いが勝った。

中学と高校を比較しても、
いい学校に行くメリットは理解できたし、

ましてや自分が京大に合格できるなら、
やってみる価値は十分にあると思ったからだ。

そして、何よりも、これこそが自分を変える
高校生としての最後のチャンスだと感じた。

当然ながら、最初はなかなか結果が出なかった。

模試を受けても全てE判定で、
合格可能性20%以下だと言われた。

もう諦めてしまおうか、と思うこともあった。

ただ、周りに「受験する」と公言した以上、
そのまま降参するのはカッコ悪かった。

だから、なんとか踏みとどまった。

そんなことを考える中で、
自分なりに工夫しながら勉強していると、
解ける問題が次第に増えていった。

それに伴って、E→D→Cと、
模試の成績も少しずつ良くなっていった。

まだまだ受かるとは言えないけれど、
少しは可能性があるんじゃないかと思った。

学校の課題や体育祭・文化祭などの行事で、
時間が取りづらい日もあったけれど、
それでもコツコツと勉強を続けた。

目標を立てて達成していくことの繰り返しが、
ほんの少しだけど楽しくもあった。

その数カ月後、ぼくは京大に合格した。

1月のセンター試験で
およそ9割もの点数を叩き出し、

その勢いのまま二次試験を受けて、
ホントに京大に逆転合格してしまった。

家族・親戚は呆然としていた。

自分たちの身内の中で、
初めて大学に進学するやつが出たと思ったら、
それが京大生だったのだ。

よほど嬉しかったのか、
みんな僕の知らないところで、
我が事のように自慢して回ってるようだった。

ぼくも嬉しかった。

なによりも、合格したときの喜びは、
人生で経験したことのないほどのものだった。

そして、このことが、
僕にとっての大きな成功体験になった。

「ちゃんとやれば、できるんだ」

僕にとって、圧倒的な自信につながった。

入学後は、いろんな友人ができた。

京大には、全国から学生が集ってくる。

だから、各地方の方言が伝染して、
ぼくは変な大阪弁を話すようになってしまった。

勉強についても、友人たちからは、
医学、哲学、土木、薬学、化学など、
いろんな専門分野の話を教えてもらった。

そうやって、自分とは違う人たちと話すのが楽しかった。

いろんなことにも挑戦した。

免許を取って車で旅行に行ったり、
バンドを組んでステージで演奏したり、
青春18きっぷでどこまで行けるか試してみたり…

あるときは、原子力発電所の内部まで
社会見学をしに行ったこともあった。

いろんな人との出会いもあった。

研究者として活躍する
とんでもなく頭のいい人や

20代のうちから起業して、
若くして成功を収めた経営者など…。

彼らの話はどれも、
ぼくが初めて聞くことばかりで、
自分の世界が広がっていくような気分になれた。

そして、恋人もできた。

とにかく、
世の中には自分の知らない楽しいことや
面白いことがたくさんあった。

頭の中で否定ばかりせずに、
外に一歩踏み出せば、
必ず何かしらの発見があった。

そうやって、行動していくうちに、
どんどん人生が楽しくなっていくことを知った。

そして、ぼくにとって、
”一歩踏み出す勇気”を手に入れるきっかけが、
まさしく大学受験だった。

今では考え方がすっかり変わってしまって、
中学・高校時代の気持ちを
少しずつ忘れつつあるのを感じる。

受験についても同じだ。

京都大学に入った今、
僕の周りには京大生がたくさんいる。

だから、周りの基準の高さから合格が
当たり前になってしまったのかもしれない。

不安や挫折を乗り越えながらも、
なんとか勉強していた当時のことが、
遠い昔のことへと変わりつつある。

でも、少なくとも高3のときの僕にとって、
京大に受かるなんて
決して当たり前のことではなかった。

周りの受験生とのレベルの違いや、
E判定という残酷な現実を突きつけられて、
勉強を何度も途中で投げ出しそうになった。

そんなことも含めて、
高校生の頃の葛藤は、僕の人生でも
ゼッタイに忘れたくないことの一つだ。

だから、完全に忘れてしまう前に、
ぼくの高校時代のこと、

特に、受験生としての1年間の道のりを
詳しく書き残しておこうと思う。

僕みたいなやつでも合格できるんだと、
誰かに勇気を与えられたら嬉しい。

合格した勉強法について具体的に知りたい方はこちらを見てください↓