受験で無駄死にしない勉強

 

以前、メルマガの方で自学自習の重要性について書いた文章を一部掲載します。

ちなみに、前回はこちらです↓

塾まで通わせてやってるのに…

 

受験で無駄死にしない勉強

 

繰り返しになりますが、
こういう勘違いが起こってしまうのは、
決して僕たちのせいではありません。

一般の常識で考えている限り、仕方のないことです。

 

例えば、日本の常識では、
・ムズカシイこと知っている人、
・ムズカシイことを理解できる人
の方が頭がいいと判断されますよね?

 

だからこそ、無理して難しいことに手を出したり、
必要のないほどの知識を暗記しようとしてしまうのです。

 

 

でも、これも実際は間違っていて、本当の頭の良さとは、
「ムズカシイことをカンタンに置き換えて使いこなせる」
という部分にあります。

 

そして、受験勉強で本当に必要なのは、
学んだことを使いこなせるようになることです。

 

難関大学ほど、それを意識した問題が出題されていますね。

それについては、僕のメルマガで配布した動画を見たので、
納得していただけると思います(とくに初級編のところ)。

 

 

じゃあ、なんで事実と違った常識があるのかということなのですが、

その理由は、遡ると今の学校の仕組みが出来た
明治時代に原因があるのかな、と僕は思っています。

 

というのも、明治時代は、西洋から輸入して
無理やり日本語に翻訳した書物で勉強していました。

でも、英語の授業でやるとわかるはずなんですが、
英文を直訳した文章って、
普段使っている自然な日本語と違ってわかりにくいですよね?

 

こういう理由から、少々わかりにくい難しい文章でも、
無理やり頭の中に入れて理解できる人の方が偉い…というふうになったんじゃないかと思うわけです。

 

 

そして、なにより暗記重視の教育でした。

いまみたいにネットで調べることができなかった時代では、
一つの知識を使いこなすことよりも、
たくさんの知識を”ただ”知っているだけの方が大切だったわけです。

 

そんなわけで、勉強したことを自分の中に落とし込むことよりも、

いかに難しい・他のみんなが知らないことを勉強するか?が大事だと考えられるようになったのかな、と思うですよね。

 

 

現代では、もちろん明治時代とは違って、
教育がすごく進歩しました。

授業では、わかりやすい順番にカリキュラムが組んであるし、
塾・予備校に行けばプロの一流の授業が受けられます。

 

つまり、学習内容をわかりやすく伝え、
理解させることについては状況がかなり改善されました。

 

でも、学習したことを効率よく定着させ、
使いこなせるようになるという点については、
全くもって改善されないままの状況になっている
と僕は思うのです。

 

 

その証拠に、僕のもとに届く悩みのメールに、
次のようなものがたくさんあります。

 

放課後ほとんど予備校の時間にとられて
他の勉強ができなくて自己嫌悪に陥ります。

塾の課題が多くて復習の時間もしっかりとれません。

 

睡眠時間は大切にしたいので、
その分、勉強がやりきれずに終わる日が多くなっています。

どうしたらいいでしょうか?

 

こんなふうに、
塾に行けば合格できると考えている人が多すぎるのです。

 

でも、当然ながら、塾で勉強したことを
自分なりに復習して消化しなければ全く意味がありません。

それが理解できていれば、
復習も出来ないほどに、予定を詰め込んだりはしませんよね。

 

 

まあ、難関大学ほど塾・予備校が必要という考えがあるのは、
わからなくもありません。

 

僕自身、京大を目指しているにもかからず、
放課後に塾にも行かず自宅で勉強するというと
周りの友人たちに随分心配されました。

 

それでも、どれだけ授業がわかりやすく、理解できるようになっても、
知識を定着させて使いこなすこととは全くもって別です。

「内容を理解するための勉強」とは別で、
「問題を解けるようになるための勉強」が必要なのです。

 

続きます

受け取るスキルがなければ、どんな素晴らしい授業にも意味がない