成績アップを邪魔する「希少性の原理」とは?

今回は、受験生の成績アップを邪魔している
よくある典型的な先入観について解説しようと思います。

 

例えば、難関大学志望の方には、

自分では全く歯が立たないような、
すごく難しい問題にひたすらぶつからないと合格できない

…という謎の先入観が非常に多いです。

 

 

つまりは、みんな

「正答率の低い問題にいかにして正解するか?」

ということばかり考えているんですよね。

 

でも、実際の合格のコツはむしろ逆で、

「正答率の高い問題をいかに落とさないか?」

といったほうが正しいのです。

 

 

だから、僕もそのことを
手を変え品を変え何度も伝えているのですが、

頭ではわかっていても、
100%体で納得して実行に移すのは抵抗があるようです。

 

情報として知識を伝えるだけなら簡単ですが、

それを行動に移せるくらいに理解させて価値観を変えようと思ったら、

やっぱり継続的にやり取りしないと難しいなあって感じます。

 

 

それで先入観の話に戻すのですが、

僕は、どういう理由があって、

「難しいことを勉強しなきゃ難関大学には合格できないんだ!」

っていう偏見が生まれるのか気になっていたんですよね。

 

 

で、僕の中で出た結論から言ってしまうと、

「少ないもの」=「価値が高いもの」

という先入観があるからだと思うんですね。

 

例えば、10円玉でも、硬貨の縁にギザギザがついているだけで、10円以上の値段がつくわけですよね?

…どっちもただの10円玉なのに^^;

 

でも、それってギザギザがついているから価値が高いんじゃなくて、

ギザギザがついている10円玉が”少ないから”価値が高くなるわけですよね。

 

 

その証拠に、ギザギザの10円玉が標準になって、ギザ10ばかり流通しだしたら、

いまとは逆に、ツルツルの10円玉のほうが高くなると思うんですよ。

 

だから、「ギザギザだから~」とかそんな外見上の理由とかではなく、

数が少ないということに価値が生まれるわけです。

 

 

そして、それと同じ原理が働いて、

「難しいこと」=「理解できる人が少ない」=「価値が高い内容」

という考えになるんじゃないでしょうか?

 

難しいことばっかり勉強して成績が上がらない人がいる背景には、

こういう理屈が働いている気がするのです。

 

 

だから、この「数が少ないとなぜか価値が高く感じちゃう」という原理を

「希少性の原理」と呼ぶことにしましょう。

 

ただ、さっきの10円玉の話からもわかるように、

希少性の原理が働いているからといって、

そのものの質や性能までが高まるわけじゃないんですよね。

 

 

 

以前、ワインを製造している人のインタビュー記事を読んだのですが、その中で、

美味しいワインを作るために、高いものから安いものまでひたすら飲み比べてみたら、
「値段の高い・安い」と「美味しい・美味しくない」は全くの無関係だった

って話が書いてあって、これって驚きじゃないですか?

 

だって、テレビの企画なんかで、

「このワインは何百万円で…」みたいなシーンはよくありますけど、

すごく美味しいものなんだろうなって勝手に思っちゃうじゃないですか。

 

 

でも、それは数が少なくて珍しいだけであって、
決して「美味しさ」とはイコールにならないそうなんですよ。

 

あるいは、僕は趣味でギターを弾いたりするのですが、ギターについても、

ある程度の金額以上になると、楽器の性能としては変わらなくて、あとは音の好みの世界になってくる

…という話をお店の人に聞いたことがあります。

 

 

だから、何百万円もするギターというのは、決してそれだけ高性能だということではなく、

希少性やブランドによって、それだけの価格で取引されているってことだそうです。

 

このように、人間には生まれ持っての先入観が備わっているんですよね。

 

それはなぜかというと、だいたいの場面で役立つからなんですが、

いつだって常に正しいかと言うと、決してそうではないのです。

 

 

さっきも話したように

「難しいこと」=「理解できる人が少ない」=「価値が高い内容」

という等式は成り立ちません。

 

実際は、

「理解できる人が少ない」=「そもそも知らなくていいこと」

といった表現のほうが近いです。

 

だから、受験勉強においては、希少性の原理は間違っているわけですよね。

 

 

あと、みんなが難しいことを好む現象について、

僕は「希少性の原理が働くからだ」って思ったのですが、別の視点から考察している人もいて、

 

今の日本の教育は、もとを辿れば明治時代に決まった制度によるものが大きいのですが、

 

その当時は、西洋の書物を日本語に無理やり直して、不自然な日本語訳で勉強することが多くて、

だから、難しいことをやったほうが勉強になると、みんな一律的に考えちゃうのでは?

 

…なんて話している人もいました。

 

 

まあ、いずれにせよ、余計な先入観や固定観念の影響であることは間違いないです。

 

こういうことは、行動経済学という分野でよく研究されてたりするのですが、

人間はありのままに物事を見れていないんですよね。

 

 

そして、僕の役割というのは、

受験生の中にある”余計な先入観”を一つひとつ壊していくことなんだと思います。

 

もちろん知識を伝えることもするんだけれど、

それ以上に、余計な先入観から開放していくことが僕の役割です。

 

 

実は、この違いは非常に重要なんですよ。

 

受験情報にやたらと詳しい人が、なぜか点数に伸び悩んでいたりするのは、そういう理由だったりします。

 

そういう人は、情報としてなら、たくさんのことを知っているんだけれど、

自分の中にある価値観を変えるまでには、深く学べていないんですよね。

 

 

そして、これは問題演習でも同じで、「知ってる・知らない」しか判断基準がない人は、浅くしか学べないから、

自分が使っている教材から試験でも同じ問題が出ていることに気づけないわけです。

 

 

 

…と、まあその話は長くなりそうなので、ここまでにしましょう。

 

とにかく、「理解できる人が少ないから…」といって、それが価値ある勉強対象というわけではありません。

余計な先入観には気をつけてくださいね!

 

ありがとうございました^^