10分だけでもやることの大切さ

この前、長距離走的な努力について話したので、それに関連したことを話します。

最近よく考えるのですが、習慣を作る上でイチバン邪魔になるのは「損得勘定」ではないでしょうか?

もし何かを習慣化したいとしたら、それを毎日無理のない範囲で(例えば1日10分とか)コツコツ取り組んで、そこから少しずつ負荷を上げていけば、物事って必ず継続できるようになっています。

でも、僕らには、そんな当たり前のことができません^^;

というのも、焦って早く結果を出したいからか、ついつい「どうせやるなら少なくとも毎日1時間くらいはやらなくちゃ…」みたいなことを考えてしまうからです。

で、そうやって勝手に自分を追い込んでいった結果、毎日1時間というノルマをこなすのが嫌になり、途中で投げ出してしまうんですね。

じゃあ、その失敗を踏まえて「1日10分から始めることにしよう」とルールを決めたら、今度は「たった10分だけなら、やってもやらなくても大して変わらなそうだし、今日はやめとこう」なんてことになってしまうのです。

また、これとは少し話が変わるかもしれませんが、どうやったら効率よく目標を達成できるか、あれこれ調べるばかりで、具体的な行動が全く取れないという人もいるでしょう。

こういったことが起こるのは、「早く結果を出したい」「なるべく失敗したくない」といった気持ちが僕らの中にあるからです。

つまりは、損得勘定してるんですね。

そして、この損得勘定こそが、僕らの行動を阻害するイチバンの要因だと思うのです。

ちなみに、「なんの意味もないこと」に限って継続できてしまうのは、こういうところに理由があるのだと僕は考えています。

なので、これは逆にいえば「自分の役に立つことほど継続が難しいものはない」とも言えるかもしれません。

僕らは、意識の領域で「こうすれば得早く結果を出せる」とか「こうすれば失敗しない」とか、頭を使っていろいろ考えるわけですが、その計算通りに物事が運ぶことはほとんどありません。

なぜなら、行動することについては、意識ではなく「無意識の領域」が大きな影響を与えるからです。

例えば、「早く寝なきゃ!」と意識するばするほど、目が覚めて眠れなくなってしまう…なんて経験ありませんか?

あるいは、「緊張してはいけない」と思うほどに緊張してしまって、普段の実力が発揮できなくなってしまう…とか。

こういった例からもわかる通り、自分自身の行動って、僕らが思っている以上に、自分自身ではコントロールできないものなんですよね。

もちろん、ある程度は行動を意識的にコントロールできているのですが、それはほんの一部であって、ほとんどの行動は無意識によって勝手に行われています。

いくら頭で考えても、腕を上げることはできません。

じゃあ、なぜ腕が上がるのかというと、それはもう「なんとなく」としか言えません^^;

医学的には「神経に電気信号が走って筋肉が収縮し…」みたいな説明がされるのでしょうが、それはあくまで外から見たときの視点です。

実際に僕らが行動する際の視点として、なぜ腕を動かせるのかというと、「ただなんとなく…」としか説明できないんですよね。

行動というのは、そんなふうに、なんとなくフワーッと湧いてくるようなものなんです。

そんなわけで、何が言いたいのかというと「損得勘定で自分を動かそうとしてはいけない」ということです。

行動を習慣化させたければ、当面の間は損得勘定を抜きにして「ただやること」だけを考えましょう。

「これをやる意味」とか「目的意識」といったことは、全部捨ててください。

「ホントに捨てちゃっていいの?」と心配する気持ちはわかります。

損得勘定や目的意識を捨てると、当然、ムダな努力が多くなってしまいますから。

でも、それも仕方ありません。

「結果を出す」という視点ではダメなことでも、「行動を習慣化させる」という視点では必要なことになります。

だから、最初のうちは、「早く結果を出したい」「なるべく失敗したくない」といった気持ちをグッとこらえて、ムダな努力を積み重ねていってください。

目的意識をもって、効率よく結果を出すことについては、習慣が定着したあとで、思う存分やればいいんです。

「たった10分だけだったら、やっても意味がない」

それは確かにそのとおりです。

確かにそのとおりなのですが、でも、それは意識を働かせて損得勘定した結果の話ですよね。

そうではなくて、僕らの無意識というものを含めて、もっと大きな視点で考えると、結論は全く違ってきます。

「こんなことしたってなんの意味もないんだけどね」なんて言いつつも、その努力を積み重ねられる人間じゃないと、やっぱり継続して結果を出すことは難しいと僕は思います。