受験生がよくやる勉強法として「自分で解かずに答えを見て覚える」といったものがあります。
本人からすれば「自分で手を動かして考えるよりも、答えだけ見て覚えたほうが効率よく勉強が進んでいくから…」という考えあってのことなのでしょうが、僕としては、この方法はおすすめできません。
勘違いのないよう言っておくと、もちろん答えを確認することは必要です。答えがないと自分の間違いに気づくことが難しいですから。
ただ、その一方で、僕は「答えこそが人の学びをイチバン邪魔する存在である」というふうにも考えているんですよね。
理由は大まかに2つあって、まず1つ目としては「そもそも答えを知ったところで実力が身につかないから」です。
正解というのは、間違いとセットにして初めて意味を持ちます。
正解だけだと、問題が少し変わっただけで、すぐに使えなくなってしまうんですよね。
答えを暗記しているだけの受験生というのは、自分が勉強した教材については完ぺきかもしれませんが、試験本番になると全く点数が取れません。
なぜなら、試験で自分がやったのと全く同じ問題が出ることはないからです。
だから、ただ正解だけを学ぶのではなく、「こういう方法は上手くいかないんだな」という失敗も体験しておくべきなんですね。
失敗するパターンも含めて学んでおけば、問題設定や状況が変わったときに、その経験から上手く対応できるようになります。
正解だけを学ぶことは、道端にキレイな花が咲いていたとして、その花を手折って家に持ち帰るようなものです。
花の部分だけ持ち帰ったところで、すぐに枯れてしまいますよね。
本当に花を持ち帰ろうと思ったら、地上に見えている部分だけじゃなくて、その根っこのところまで掘り返して、まるごと鉢に移さなきゃいけません。
なので、花(つまりは正解)だけ持ち帰ったところで、多少エゴが満たされるだけで、それ以上の意味はないんです。
むしろ、その花を持ち帰ることができなかったとしても、根っこから掘り返して鉢に移せたら、新芽が出てきて花へと成長するかもしれません。
あくまで例えとしての話ですが、そんなイメージになります。
で、理由の2つ目が「答えを知ると学ぶ気力を失ってしまうから」というものです。
僕ら人間は、一度答えを知ってしまうと、それでもう満足しちゃって、どうしても自分で考えようとする気持ちをなくしてしまいがちです。
だから極端な話、学校の授業でも、答えだけ教えて終わるくらいだったら、答えを教えずに質問して疑問を持たせるに留めておくほうがいいんじゃないかとすら思っています。
僕自身、数学は好きだった(というか好きになった)のですが、それは自分で考えて問題を解くことに喜びがあったからです。
「こうしたら解けるんじゃないか」とか、「ああしたら上手くいくかもしれない」といったことを考えて、自分の考えが上手くハマったときが楽しいんですよね。
そして、そういう楽しさがあったからこそ、勉強を続けてこられたわけで、もし数学が「答えをただ暗記するゲーム」だったら、それこそ苦痛しか感じられなかったでしょう。
そんなわけで勉強する際は、最初から答えだけ知ろうとせず、まずは自分なりに手を動かしてみてください。
もちろん、僕らはすべての問題を自分一人で考えて解くことはできません。
でも、だからといって、一から十まで全部教わろうとするのはダメだということです。
最終的に答えを確認したり、誰かを頼ることになったとしても、まずは自分なりに試行錯誤して、失敗の経験をたくさん貯めておくこと。
そうすれば、答えだけ確認して勉強した気になっている人とは違って、頭で考えるのではなく、感覚的に物事が理解できるようになってきます。
パッと目で見ただけで答えがわかるような、そんな直感が磨かれるのです。
たしかに答えだけ確認する方法だったら、10段階のうち”7”とか”8”くらいまでは、楽に・速く・簡単に身につくかもしれません。
でも、難関大学の入試で通用するのは、せいぜい”9”や”10”のレベルだけです。
そこに至るには、いろんな解き方を自分で試してみて、たくさん失敗していくしかありません。
そうやって知識ではなく、感覚を磨いていくしかないのです。
…まあ、とはいえ、僕らには「時間の都合」というものがあります。
試験日が定まっている以上、あまり悠長に時間を使っているわけにはいきません。
ある程度は自分で考えて、その後は答えを確認しつつ、なんとか勉強を進めていくしかないのです。
そこのバランスは、個人で上手く調節していく必要がありますが、とにかく「ひたすら答えだけ確認して勉強した気になる」みたいなことだけは避けましょう。
ちなみに今回の話は、教える側にとっても大事な教訓になってきます。
自分が教える側になったら、手取り足取り教えたくなる気持ちをグッと抑えて、なるべく答えを教えないようにしましょう。
相手の試行錯誤する喜びを奪ってはいけません。
ゲームを遊んでいるとき、アイテムの入手方法やボスの倒し方など、何から何まで教えられたら、何も楽しくないですよね。
そうなったら最後、相手は学ぶ姿勢を失って、何も身につかなくなってしまいます。
強制して学ばせようとしたところで、それでは与えられた指示を黙々とこなすだけの自動機械と変わりありません。
だから、教える側に求められるのは、適切なヒントを適切な順番で与えることです。
答えではなく、ヒントを与えるのです。
解き方がわからないときは「こういうことを試してはどうだろうか?」というヒントを与えること。
「何をしていいかすらわからない」という人がいれば、基本的な考え方・理論を伝えて、「じゃあ具体的にどうしたらいいかは自分で考えてみようか」という教え方をすること。
間違っても、具体的に「ああしろ」「こうしろ」といったかんじで、細かい指示を与えちゃいけません。
正直、教える側にとっては、そうやってさっさと答えを教えて次に進んでもらったほうが進捗があるし気持ち的にもラクです。
でも、それって夏休みの宿題を、答えを写して提出するようなもので、そんなことをしてしまったら、そもそもやる意味がなくなってしまいます。
だから、教える側は、相手の試行錯誤を辛抱強く待って、その上で行き詰まったときにヒントを与えるようにしましょう。
…と、まあ、いろいろ理想論を語ったわけですが、まとめると「答えってそんなありがたいものじゃないよ」って話でした。