回鍋肉事件から学んだ受験勉強の才能について

 

実家に帰ったりすると、その日のご飯を家族の誰かが作ってくれるわけなんですが、

一度でも一人暮らしをすると自炊の大変さが分かるので、これは本当に助かります^^;

 

それで、これはつい最近の出来事なんですが、

母親が夕食の献立に悩んでいたので、僕が「回鍋肉(ホイコーロー)を作ってよ」と提案したら、すごく驚かれました。

 

なぜ驚かれるのか僕もわからなかったのですが、その理由を聞いてみると、

母親自身が回鍋肉を嫌いだから、僕も同じく嫌いだと勝手に思い込んでいたようなんです。

 

 

…で、これだけだと、ただの日常の話になるのですが、

このときふと「人に教えることと料理とは似ているなあ」と思ったのです。

 

というのも、

・料理では、みんなが喜んで食べてもらえそうなメニューを考えて調理するように、

・人に何か教えるときも、みんなにとって学びがあるような内容を考えて伝えますよね。

だから、形は違うけども、やってることは同じようなものなんです。

 

 

 

ただ、ここでさっきの回鍋肉事件のようなことが起こります。

 

どういうことかというと、

みんなにとって役立つことだとしても、自分の中で当たり前に感じることだったら、わざわざ教えようとは思えない、

ということです。

これは、自分が嫌いだから、相手もその料理を嫌いだろうと思い込んでしまうのと似てるかなーと。

 

 

同じように、自分にとって常識になっていると、相手も当然知ってることだと思い込んでしまうのです。

その結果、役立つことを伝えたくても、伝えられなくなってしまう。

 

僕は、このことを回鍋肉現象と呼んでいます(いま名付けました笑)。

 

 

でも、突き詰めて考えてみれば、

人よりもずば抜けた結果を出せるのは、普通の人とは常識の感覚が(いい意味で)ズレているからなんですよね。

 

例えば、受験勉強でいうと、同じ内容を何度も復習する…とかです。

普通の人なら飽きてしまうし、勉強しても前進してない感じがするので途中でやめちゃいますよね。

でも、非常識が常識になった人は当然のようにこなせるわけです。

 

 

…だから、人に教えるのってすごい難しいですよね^^;

相手に上手に教えようと思ったら、常識的な自分と非常識な自分を並存させなければいけないわけですから。

 

どっちか片方だけじゃダメなんです。

・常識だけだと、そもそも結果を出せないし、

・非常識なだけだと、人には上手く伝わらない。

 

だから、コツを教えようと思ったら、世間一般の常識を知った上で、成績を伸ばす非常識も知っておかなきゃいけません。

 

 

さて、ここまでのことを考えると、受験勉強についての”あるある”に説明がつきます。

 

 

例えば、こんな経験ありませんか?

 

トップクラスで頭の良い同級生に「普段どうやって勉強してるの?」と聞いてみると、

「え?普通に勉強してたら、これくらい点数取れるよ」と言われた…みたいな経験です。

 

僕はありました^^;

 

それで、結局は「頭の構造が自分とは違うんだな」と落ち込んでしまうわけです。

 

 

でも、これってまさに回鍋肉現象じゃないでしょうか?

というのも、最初から勉強がよくデキる人は、みんなが知らないコツを常識的にこなしているから、伝えたくても伝えられないのです。

 

だから、結局は才能とかないんですよ。

結局は、方法次第なんです。それを相手が伝えられないだけなんです。

 

そして、もう一つ言うとすると、分からないことは僕に質問してください、ということですね。

僕でなくても、常識と非常識の両面を知ってる人にアドバイスをもらうようにしましょう。

 

 

ちょっとまとまらない話だったかもしれませんが、今回は以上です^^

ありがとうございました。