失敗しても、やり直せばいい

これは、平凡な学生だった僕が、
E判定から京大に合格するまでの経緯を
ストーリー調に振り返ったものです。

 

第11話「失敗しても、やり直せばいい 」

 

二次試験が終わってから、数日が経った。

 

京大は、合格発表日が比較的遅い。

確か、試験本番から2週間くらいかかったと思う。

 

 

この間には、学校の方で卒業式があった。

 

すでに、進路が決まった人も多かった。

そういう人たちは、
みんな楽しそうにわいわい騒いでいた。

きっと肩の荷が下りて、ホッとしたのだろう。

 

 

でも、その一方で、
自分の将来はまだ何も決まっていなかった。

 

学費の都合上、滑り止めの受験もしなかった。

だから、京大がダメだった場合、
後期で受ける公立大学に
なんとしても合格しなければいけない。

 

ただ、後期試験の大学が
いくら京大より偏差値的に下とは言え、

前期試験で落ちた人がやってくるから、
倍率も上がるし難易度も高くなる。

だから、後期も不合格というのは十分ありえる。

 

もし、そうなったら、
僕は来年どうすればいいのだろうか。

 

卒業式では、お世話になった先生もいたし、
もう滅多に会わなくなるであろう
友人たちもたくさんいた。

ただ、依然として、
自分が崖っぷち状態であることを考えると、
全く感傷的な気持ちにはなれなかった。

 

 

仮に、浪人できたとしても、
次の年に合格できる保証なんてない。

現役生から追われる立場になると、
抱えるプレッシャーだって桁違いだろう。

そんな精神的なストレスで、
勉強をサボるようになってしまったら最後、
大学生には一生なれないんじゃないか…?

 

受験に失敗することが、社会のレールから
外れてしまうのと同じことのような気がした。

 

一度失敗したら、二度とやり直せないような気がして、とても怖かった。

 

そんなことを考えていたせいで、
卒業式の間、僕はずっと上の空だった。

 

 

 

試験直後の感触としては、
ホントは、それなりに自信があった。

 

でも、それが数日経って、
自分の解答を思い返してみると、

「”+”と”ー”が逆になってるかも…」

「数学の解答に不備があったんじゃないか…」

といったように、不安要素が次々と出てきた。

 

それに、本試験の場合は、
模試と違ってホンモノの数学者が採点する。

だから、答えの数字があってるだけじゃ、
点数なんて全くもらえないのだ。

解答にも、数学的な厳密性が求められる。

 

でも、自分の解答は…。

 

そんなことを考え始めると、
もう後期試験どころではなくなった。

 

 

 

ある日、不安であまりにも勉強が進まないから、
地元の小さな神社へ合格祈願に行くことにした。

 

そこで僕は、後期の大学ではなく、
「京大に合格させてください」とお祈りした。

 

合格祈願は、ふつう試験前にやることだ。

いくら神様といえども、
過去を変えるなんてムリな話だろう。

 

いま冷静に考えればオカシナことだけど、
当時の僕はそんなことを本気でお願いしていた。

試験後の時期ということもあってか、
他にお参りに来ている人は誰もいなかった。

 

そんな手遅れの合格祈願をするくらい、
ぼくは精神的に追い詰められていた。

 

もしかしたら、この発表を待つ時間が、
いちばん精神的にキツかったかもしれない。

僕は、家でずっとため息をついていたと思う。

 

 

 

ところが、合格発表の前日。

 

相変わらず元気のない僕を
きっと心配してくれていたのだろう。

同居している”ばあちゃん”が
落ち込んでいる僕を励ましてくれた。

 

「あんたは自分の言葉通り、
最後までやり切ったんだからスゴイと思うで!」

「自分に自信をもったらいいよ!」

 

…確か、こんなことを言ってくれたと思う。

 

 

「自分に自信をもったらいいよ」

 

その言葉に、僕はなぜかハッとした。

そもそも僕は、なぜ京大を受験しようと思ったのだろう?

 

それは、高校受験を経験したことで、
いい環境に身をおいて、
優秀な人たちに囲まれたいと思ったから…。

漠然とそんな理由をつけていた。

 

 

でも、本当のことを言えば、
「誰かに認められたかっただけ」な気がする。

 

もともと、僕には自信がなかった。

自分の意見を言うことができなかった。

ただのバスケットボールの授業でも
大事なところでシュートできなかったくらいだ。

 

だから、受験勉強を頑張った。

 

京都大学に合格して、
人から認められたかったんだと思う。

自分だってやれば出来ることを証明して、
みんなを見返してやりたかった。

 

そしたら、自信がついて、
何かが変わるんじゃないかと思ったのだ。

部活や勉強に打ち込む同級生のように、
充実した毎日が送れるんじゃないかと思った。

 

 

結局は、「認められたい」だけ。

そんな、くだらない小さな動機で、
ぼくは頑張っていただけだった。

 

 

 

…でも、逆に言えば、
そんな小さい動機でも、
自分はここまでやってこれたのだ。

 

センター試験では9割も取れた。

学校でもトップクラスの成績になった。

足切りにもあわずに京大を受験できた。

 

何より、最後まで諦めずに走りきった。

 

 

もちろん、勉強は大変だった。

心が折れそうになることもあった。

いまだって、不安で潰れそうになっている。

 

でも、毎日がすごく充実していた。

 

 

よく考えてみると、この1年が、
高校3年間でイチバン楽しかったかもしれない。

 

もちろん、「気楽さ」という意味では、
家でゲームをしている方がよほど楽しい。

ただ、勉強して成績が上がったときは、
ゲームじゃ味わえないような充実感があった。

 

ゲームが終わったときは、
なんとなく虚しい気持ちになることがあったけど、

勉強が終わったときは、
有意義に時間を使えたようで誇らしい気分になった。

 

目標を決めて、そこへ努力することが、
こんなに楽しいことだとは知らなかった。

そんなふうに考えられるなんて、
自分でも、かなり成長したように感じる。

 

 

だから、それについては、
自分に自信を持ってもいいと思えた。

 

ばあちゃんから励ましてもらえたおかげで、
なんだか気持ちが楽になった。

 

 

不合格になるのは嫌だ。

でも、「不合格で人生が終わる」なんて、
冷静に考えればありえない。

 

 

今回の受験は、時間が足りなくて、
残念な結果に終わるかもしれないけど、

1年前に比べれば、
ここまで成長することができたのだ。

 

だから、今回ダメだったとしても、
もう一度やれば、きっと合格できるに違いない。

 

浪人だって、
毎朝、新聞配達でもして頼み込めば、
両親も認めてくれるだろう。

 

失敗しても、やり直せばいいだけだ。

いい意味で開き直れるようになった。

 

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