数字の弱点見つけたり

これは、平凡な学生だった僕が、
E判定から京大に合格するまでの経緯を
ストーリー調に振り返ったものです。

 

第4話「数字の弱点見つけたり」

 

「キョウトダイガクって、あの京都大学?」

 

あれから、京大を受験するという考えが、
頭について離れなくなってしまった。

進路調査票の提出期限も近づいてきている。

 

そこで、まずは両親に相談してみた。

きっと、自信がない僕は、
誰かに背中を押してほしかったんだと思う。

 

 

「…うん、いいと思うよ。
まあ、頑張って勉強するんやで。」

 

なんとなく雰囲気で、
期待されていないことだけは理解できた。

 

期待はしていないけど、
自分の子供が勉強すると言っている。

わざわざ否定することはない
だから、応援しておこう

…といった感じだった。

 

長年、親子をやっていると、
そういうのは表情とか言い方で
なんとなく伝わるものである。

ただ、心配になったのか、
「挑戦するのは勝手だが浪人と私学はダメ」
という条件がその後すぐに追加された。

 

結局、背中は押してもらえなかった。

 

そして、それから数日間は、
自分が京大に合格できるという
根拠探しの日々が始まった。

 

具体的には、周囲の友人たちと比較して、

「あいつが○○大学を目指すなら、
自分はもっと上でも行けそう」

とか

「あいつでも☓☓大学なのか…。
じゃあ、自分には京大なんて…」

といったことを考えて、
頭のなかでシミュレーションした。

 

もちろん、それを口に出したりはしなかった。

ただ、我ながら嫌なやつだったと思う。

 

他にも、進学資料の冊子にある
表や数字とにらめっこしては、

「合格できそう!」とか「やっぱムリかも…」
なんて言いながら何度も皮算用を繰り返した。

 

 

ただ、そうするうちに気づいてしまった。

そもそも、自分が合格できる根拠なんて、
考えたところで見つかるわけがないのだ。

 

もっと正確に言うと、

「合格できる」という考え方でいれば、
いくらでも”合格できる根拠”は見つかる。

でも、「合格できない」という考え方でいれば、
”合格できない根拠”も同様に、
いくらでも見つかるということだ。

 

例えば、進学資料のデータを見ていると、
全く同じ成績だった二人が、
1年後には天と地ほどの差がついていたりする。

 

あるいは、

夏休みから一気に伸びて、
そのまま合格している人がいるのに対して、

出だしは好調にもかかわらず、
そこからほぼ横ばいのまま
不合格になっている人もいたりする。

 

これだけの差が生まれたのだ。

きっとそこには、何か理由があるに違いない。

本人が急にやる気を出した or 無くしたとか、
ある日勉強のコツを見つけた、といった具合に。

 

でも、進学資料の隅々まで目を通したところで、
その原因までを掴めるはずがないのだ。

 

数字やデータは、とても便利なものだと思う。

なぜなら、何か一つの事実について、
いつでも誰にでも、
わかりやすくハッキリと教えてくれるから。

 

しかし、それは裏を返せば、

「数字やデータは、せいぜい
誰にでも当たり前のことしか教えてくれない」

ということでもあるのだ。

 

 

だから、誰かに背中を押してほしい自分にとって、
残酷な答えになるのだけど、

結局、合格できるかどうかは、
自分の努力次第ということになってしまう。

それ以上の確かなことは、
数字やデータとにらめっこしたって、
何も得られないということなのだ。

 

そして、そこまで考えて、
ようやく自分の悪いクセが出てることに気づいた。

「失敗したらどうしよう…」

そうやって、何も行動せずに考えるだけ。

それが僕のいつもの悪いクセだった。

 

 

思い返せば、高校受験のときも
この悪いクセのせいで散々に後悔したのだった。

 

当時の僕は、
「落ちたら勉強したことがムダになってしまう」
なんてことを考えていた。

でも、実際に落ちてしまって思ったのは、
「もっと勉強しておけばよかった」ということだった。

 

不合格になっても、
一生懸命勉強したことには後悔しなかった。

むしろ、もっと勉強しなかったことに後悔した。

 

 

その他にも、高校受験のときは、
「第一志望は成績が上がったら挑戦してみよう」
なんてことを考えいてた。

この考え方も失敗した一つの原因だった。

 

成績は、ギャンブルとは違って、
運とか偶然で伸びるものではない。

だから、「成績が上がったら…」
なんて考え方で実際に上がるわけがなかった。

 

最初に高い目標を掲げるから、
それに応じて成績が伸びていくのである。

 

標高8,000mを目指そうと思ったら、
最初からヒマラヤに登らなければいけない。

富士山に登ったところで、
良くても3,776mまでしかたどり着けない。

それと同じことだった。

 

 

そんなことを一通り考え終えたら、

「いま挑戦しないと、
高校受験のときと同じ後悔が襲ってくる」

そう思った。

 

いますぐ行動しないと、
またいつか弱い自分が引き止めにやって来る。

いまのうちに行動しないと。

 

そして、気が変わらないうちに
進路調査の紙の大学名のところへ、
ボールペンで「京都大学工学部」と書いた。

 

理系的なことが好きな自分にとって、
学部は工学部と理学部で迷った。

ただ、工学部の方がものづくりを通して、
困った人を直接助けられるイメージがあった。

だから、工学部にした。

 

 

調査票の締め切りは、まだ2,3日あった。

でも、退路を断つつもりで、その翌日には提出した。

 

もう逃れられない、やるしかないんだ。

改めてそう思った。

 

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